調査研究

 

「日本の介護」を必要とする国、
必要とする人々に伝えるために

 

(2016年2月23日)

社会福祉法人陽光 理事長

金澤 剛

 

第一章 はじめに

 

 2025年問題と、安倍政権が言う新三本の矢①GDP600兆円②出生率1.8③介護離職ゼロの政策的目標。その中で介護離職ゼロ問題を介護する側から見ると、介護人材不足の問題につきる。そのため具体的施策として介護ロボットの導入、キャリアパス導入により介護職のモチベーションアップ等、他に外国人労働者の導入、その為の技能研修生制度に介護職も職種として加える等、色々と提案されている。
 その中で特に技能研修制度への介護職の解放に対する様々な議論は現在の「介護」現場の問題を映し出しているように見える。
 それは2025年には約40万人弱の介護職の不足がカウントされ、それを充当させるべく東南アジア諸国からの導入をするべしとの案である。そのことに対し「介護」は言葉を通しての心と心のつながりが基礎となっているため、言葉の通じない外国の人に介護は任せられない、まして文化の違う人は日本の介護は無理である、従って反対等の意見を始め、とにかく議論が盛んになってきている。
 だが、その議論を聴いていると何か前提が違っていると思えてしょうがない。それは導入にせよ反対にせよ、労働力不足をいかに充当するかの物差しで賛成、反対を言い合っているからである。
 今私達に必要なのは介護の提供する人の力の不足であり、不足しているのは「介護力」なのである。
 今私たちが議論すべきなのは「介護」とは何かなのである。今そのことを議論せず単に労働力問題で片づけてしまえば何も解決することなく、いずれかはまた労働力の不足がきたすのは明白である。
 その矛盾に遭遇しているのが台湾の介護なのではないか。いち早く外国労働者をメイドとして導入し、それを基礎にして台湾の国民が産業に従事し、家の問題は外国人労働者に委ねてはいたが、今高齢化社会に伴った介護の必要な質、あるいはスキル、専門性が必要となりまた、介護が社会的共同の中で処理をする必要が生じ、それは家庭問題から社会問題への変化を必要としたとき、介護の専門性と専門介護人にそれを委ねる必要が生じ、それへ向けての過渡期を迎えているのが現在の台湾の介護問題である。
 そのことは外国人労働者の導入なくして成り立ちようもない日本社会に必要なのは単なる介護労働力ではなく、質をともなった介護であり、今「介護」とは専門的領域が必要であるということを示唆しているのであろう。だが、そのことは今や何も日本あるいは台湾の問題に留まることではない。
 高齢化社会への倍加スピードはアジア諸国はヨーロッパ諸国の何倍、いや何十倍のスピードで押し寄せてきている。現在の送りだし国の問題でもある。その諸国でさえもこの十年の内に介護の社会化を必然とする国である。この時代的条件こそ、今私どもが外国人介護研修生を受け入れる積極的理由になるはずである。
 時代変化は皮肉なことに日本を介護先進国とした。
日本に於いて介護の現実的対応を強いられている時、他のアジア諸国は「介護」という言葉さえ必要としていない時であった。
 今は違う。明日は諸外国をも確実にそれを必要とする時なのである。
 この時代的要望こそ外国人介護研修生を日本に受け入れ、介護研修を実施し、結果的に日本の介護力不足を補う理由としなければならないはずである。このような結論を得るために今私どもは介護の現場の介護力不足の現実と、一方私どもが作り上げてきている「日本的介護」とよばれる専門的介護の到達点と、それを前提とした今後の日本、ならびに東南アジア諸国の時代的課題解決のために外国人介護研修生等の受け入れ計画を実施していきたい。それに向けて少し整理をしてみたい。

 

| 調査研究メニューへ戻る | 第2章を読む→