調査研究

 

「日本の介護」を必要とする国、
必要とする人々に伝えるために(2)

 

(2016年2月23日)
社会福祉法人陽光 理事長
金澤 剛

 

第二章 日本に於ける「介護」

1.介護の歴史

 介護を語る場合、高齢者・障害者、病気にかかった人達に対する日常的「おせわ」を指して言うのが一般的である。
 「介護」という言葉が公的に使用されたのは法律用語からであった。1892年(明治25年)陸軍軍人傷疾病恩給給付基準の通達によってはじめて使用されたと、ものの本には記されている。一般的には「おせわ」の必要な人に「おせわ」することを「看護」と看護界で使われているが、それと同じ意味で使用されていたのであろうか。
 それが現代になり、特に1970年代の「ノーマライゼーション」の概念が日本に定着しはじめた頃から「介護」との言葉が一般的に使用されはじめたのである。
 それは後に記していくが、それまで「介護」は家庭内作業が一般的であったが社会的労働としてその位置が広がり始める頃「介護」との言葉が一般用語として定着し始めたのであった。
 
2.「家庭介護」から「社会介護へ」

①介護の専門職が必要な社会へ
 1963年(昭和38年)「老人福祉法」の制定により初めて「家庭奉仕員」と呼ばれる「介護職」の法的認知が行われた、又それまでの養護老人ホーム、軽費老人ホーム等の経済的視点による救貧事業から高齢者の心身機能によるカバーするためのケアを行う必要が生じ、特別養護老人ホームとの概念をつくりあげ、それに携わる専門職の必要も生じたのである。そこから「介護職」が生まれ始めたのであろう。
 その後1982年(昭和57年)の老人保健法の制定により、はじめて「家庭奉仕員」の位置づけを明確化した。それは、老人家庭奉仕員派遣事業運営要綱を改定することにより業務としての介護のあり方をはじめて明文化することとなったのであった。それは今まで一般的な「介助」からその業務を「家事」「相談助言」「身体介護」の3要素が奉仕員の基本業務として位置づけたのであった。
 1987年(昭和62年)「社会福祉士及び介護福祉士法」の制定、先に記した「ノーマライゼーション」社会化の風潮が世界的風潮となり、日本にあっても「介護」が社会問題化する時代となり、当然「介護」も専門家の必要が社会的に認識され、必然的に専門分野としての「介護」の自立が必要とされ始めたのである。
 そのために法制度として生まれた「介護福祉士の名称を用いて専門的知識及び技術をもって身体上又は精神上の障害があることにより、日常生活を営むに支障がある者につき、入浴・排泄・食事、その他の介護を行い並びにその者及びその介護者に対し、その介護に関する専門的な指導を行う専門職としてはじめて位置づけられた。
 その後、平成元年に策定された「高齢者保険福祉推進10ヵ年(ゴールドプラン)にて在宅福祉対策の三本柱として「ホームヘルプサービス」「デイサービス」「ショートステイ」がそれぞれ位置づけられ平成2年の「老人福祉法の一部を改正する法律」いわゆる福祉8法改正にて「家庭奉仕員」という用語が消えホームヘルパーあるいはホームヘルプという用語に変わっていくのであった。それは何も用語の変化ではない。それまで高齢者対策は救貧対策として措置制度がその柱であったが経済的問題より、より現実的に高齢者一般の高齢者対策としての変化を要求する時代的変化なのである。
 一方、社会的にはその必要が認められ、法的にもその整備が進んでいたが、残念ながら「介護」そのものは概念の統一がなされず、「介護」とは何であるか明確にすることなく社会的必要度の深さが先行していた感があった。
 例えば、看護界の一部に代表される主張に、何もあえて「介護」という必要はなく「介助」という言葉の中で十分に代用できる。そもそも「介護」なる言葉は看護界がつくりあげた言葉でなく看護と区別するような専門性あるいは特定の業務内容でもなく、まして専門的な定義が不明であるため、「介護」の独自領域も不明であるためにその言葉を使用する意味は不明である。との説である。
 このことは今でも根強く残ってはいるが、当時も今も言い得て妙な言葉なのかもしれない。なぜなら、今から言えば「介護」は「医療の近代化に伴って必然的に忘れ去らざるを得なかった領域をことのほか重視しそれを強く主張することにより「介護」の独自性の発見につとめてきた経緯を否定できない。
 いずれにしても少子高齢化社会の進行は「介護」を必要とする高齢者の出現のスピードに加速をかけ、振り返る時間をあたえてはくれなかった。
 
②公的介護保険の成立
 一方、「介護」領域の確立の必要性を決定づけたのは「介護保険」の成立である。
 2000年(平成12年)に施行された介護保険法は介護サービスをそれまでの行政による措置から個人による契約事項としての概念変化である。このことは高齢者介護にとって様々な変化の位置づけが語られる事ではあるが、今ここでは介護の専門性の視点から見ていきたい。それは介護する側とされる側の個人契約による「サービス業」として介護が位置づけられるために客観的にはその専門領域の存在を前提とせざるを得なくなったからである。サービスの良し悪しはサービスの質の良し悪しであり必然的に専門性が必要とされる時代となったのであった。
 国も必然的に「介護」の専門領域を見出そうとするのは当然である。
平成17年に提示された「福祉人材確保指針」の見直しによると、その基本概念として
 ((高齢者が自らの意思に基づき自立した質の高い生活を送ることが出来るように支援する「高齢者の自立支援」を中心的課題としそれを保障するものが「介護」である。))とし、その教育課程として「人間と社会」「介護」「こころとからだのしくみ」の三要素を介護福祉士あるいは介護職そのものの教育課程に組み込んだのであった。
 また、先に施行されていた「社会福祉士及び介護福祉士法」の改定を平成19年に行い「入浴・排泄・食事その他の介護」という具体的な項目から範囲を広げ「心身の状況に応じた介護」を変化させ、その業務範囲も老齢や心身の障害により日常生活を営む上で困難な状態にある個人を対象として専門的な対人援助を基盤に身体的・精神的、社会的に健康な生活の確保と改善を目指した。
 利用者が満足できる生活の自立を図ることを目的とし、生活の場面で行われるところの援助、具体的には「日常生活の動作、家事、健康管理、社会活動」などの援助を専門的に行う職として明確に位置付けた。その結果、なかなか進まない介護の専門性への自立、あるいは介護職の専門家としての定着を目指したのであった。
 
③介護専門職を必要としてきた時代
 先に記してきたように時代は介護なしには秩序を保つことが出来ない。その必要性は年々増し続けている。だがしかし、それを司る介護職は絶対的に不足している。今から振りかえると15・6年前、公的介護保険制度が施行される前後は「介護職」は現代社会に珍しい「やりがい」のある仕事であり、今の世の中に忘れ去られた、お金には還元できない人間関係や奉仕・互恵が実感できる仕事として夢を見ることが出来る時代であった。
 それが今や3Kのしごととしてすっかり定着し、若い人々が現場から去りつつある。それを職場改善、具体的には待遇、賃金の改善は当然のこととして、その改善がなされれば全てでは決してない。
 確かに前者の問題は一時も待たずして改善する必要はあるが、それと同時に「介護そのものがもっている面」一介護の専門性の社会的確認の作業が必要だと思う。
④介護の専門性とは
 「介護は感情労働」である。介護される側と介護する側はその関係を変えることはできない。先に職業としての介護はお金に変えることの出来ない「やりがい」があると記したが、それはお金に換算すると事のできない深い人間関係が成り立つ現場であることの証でもある。
 職業としての介護者は「介護される側」からの深い感謝の言葉にその仕事のやりがいを感じる。このように惜しみなく与え合う人間関係が、しかもしごととして成り立つ現場が介護現場なのである。この現場を支える合言葉が「介護の心」あるいは「介護の理念」と語られたりもする現場である。
 だが、しかしそれは一方で介護される側は身体であれ、感情であれ、なにか支障をかかえた存在であるのが前提である。そこには、得てして介護する側に過度の期待と要求、あるいは共感を求めがちである。ここに職業としての介護の悩ましい問題がある。一方、介護は感情労働であると言われている。それは飛行機のキャビンアテンダントに要求されていると同種の感情労働である。介護する側は介護される側の平安・安寧を目的とした演技をも時として必要とする為、自己の感情を目的の為に自己の表現する感情をも操作する必要がある仕事現場といわれている。このような仕事は時としてあるいは常に緊張を強いてくる自己の感情を介護される人の感情改善を目的に操作する必要が生じる仕事場なのである。時として仮面をかぶる必要を生じる仕事場なのである。ストレスである。しかし、介護の専門家はこの現状を常に了解することを承認した人達なのである。だから介護は専門性を必要とするとも言えるのである。
 しかし、この状況をごくあたり前の状況と了解するには「介護に対する科学的専門性」「経験値」「あるいは介護する側の人間性」が常に問われ、それの蓄積を必要とするのであろう。このような職場が介護現場である。
 だが、現場は3K労働と呼ばれその労働条件の悪さはすっかり定着した状態にある。時代はますます介護職の就労を欲しているが、それに反比例して、なり手は日に日にあるいは年々減じているのが現状である。しかし、国はその不足を補う施策を様々に実施しているがなかなか不足の波は治まるところを知らない。
 それでは何が必要か、今一度整理してみると
 第一には当然、賃金体系の改善である。現状の全職種の平均賃金よりも一割も二割も低い賃金では何も改善出来ないし、それどころか一切の手を打つことが不可能である。なによりも本来的あるいは原則的な介護労働に見合う賃金の保障が必要である。
 第二にそのうえで感情労働であることを了解できる専門的介護論の確立である。介護する側とされる側の深い関係をつくることのできる「介護の心」を持ったうえで、介護される人を客観視できる技術をつくることが出来る介護論、介護技術の確立である。
 簡単に言うと金と専門的介護の確立である。その結果、職業的介護人の社会的ステイタスを上げる必要があるのである。
 「介護」が日常用語となり社会に不可欠な領域であると言われ始め、定着しはじめてから四半世紀が経つ。この間様々な面から「介護」が語られてきた。先にも記してきたが今語られる「介護」の出自は確かに「看護」世界である。それ故に極端な主張も確かにある。その代表がなにも改めて「介護」など言う必要ない看護界で言う「介助」の領域を多少広げることにより「介護」の体系化ができる、との主張である。
 一方、近代看護は「医療」の高度化によりまた、「医療」そのものが感染症の対処を通し科学技術の世界に入り込むことにより、更なる科学技術としての医療の進化が進むことにより結果的に合併症とでも言うべき世界をも作りだし、人間が疎外される結果をも生んでいる。
 よく「医療は人を見ずして病気を見る」など言われ医療の近代化はこのような課題を社会問題化するに至ってきたのである。この状況から「介護」が生まれたのであり、医療の近代的進歩と同時にそれが生みだした様々な課題を生活の側面から見て改善をする方法として「介護」の独立・自立を生み出してきたのである。この生まれ出ずる過程が現在の「介護」世界の潮流をつくりだしている。
 
⑤日本で「介護」を生み出した3つの流れ
 それでは現在の介護世界の潮流とは

イ)ひとつは「介護」の中心は「介護の心」であり、その「介護の心」をもって要介護の人に対し、介護人は接する。介護はそれぞれの人がそれぞれに望んでいる暮らしをサポートすることで、その際「高齢者の尊厳」を守ることが介護の目的でありたとえ寝たきり状態であっても自分でできることや自分で決められることを見つけてあげサポートするのが介護である、との介護解釈のもとの介護論である。いわば寄り添うことが介護の中心であるとの介護解釈であり、その源は「介護の心」であり「気づき」「想いやり」「人間性」「感受性」「もてなしの心」が介護の中心的価値であるとの考え方。
 
ロ)また一つには、利用者が抱えている生活上の困難さや支障や身体心理面での生活の支障となっている事に対し、解決するのが介護の要素であり、その能力を高めることが介護の専門性であり、その解決手法として「介護過程」等の看護界がつくりあげた手法の導入により介護の科学性を強めるとの潮流である。
 
ハ)そして更に介護は自立支援であるとの考え方の潮流である。人間は身体・精神・社会の3つの要素が必要となる。従って障がい者・障害児・高齢者それぞれに自立の方法論が違っており、必然的に介護そのものも違ってくるはずである。その中で高齢者は精神的自立や社会的自立を追い求めるより必要なのはADL(日常動作)をもう一日自立できるように努力してもらい生活を整えることがなによりも重要であり、ADLが自立すればIADL(手段的日常動作)をも自立していく、との考え方でADLの自立に向け努力するのが介護の専門家のもっとも重要なしごとであるとの考え方である。

 以上、3つの潮流が介護界に代表される流れである。
 この代表的な流れは、それぞれの出身、出自から生まれ出た流れであり、ごく当たり前のそれであり、この三本の流れが現在の日本介護界の現況を映し出していると言える。
 第一の流れは措置の時代からある日本福祉の古くからの流れであり戦前から続く代表的福祉施設を支えてきた件、あるいは介護人の価値観である「人へのやさしさ」などを「介護の心」としその価値観を中心的軸として介護を語る主張。
 第二の潮流としては、介護は看護を出発点として看護があまりの速度で高度化する為「看護のこころ」とでも言える部分の置き忘れ、それを切り取り重要な部分として領域化、そのための手法として戦後アメリカの看護界で生まれ発展してきた「看護過程」等を「介護過程」と名を変え同じ手法にて介護の専門性をつくりあげようとした看護界出身の主張である。
 第三の潮流としては、人間の解釈としてICF(生活機能モデル)の考え方。それは「心身機能」「構造」「活動」「参加」のすべてを含む言葉としてWHOにより規程されそれに基づき介護を規程する考え方でそれをもって医療モデルとの違いを明確にし、その方向性に「介護」を見ようとするリハビリ医療等を中心とした考え方。
 以上、3潮流が日本の現在の介護を語る3大潮流と言える。だが、それぞれの流れは一本の介護本流としてまとまって流れてはいない。それぞれに独自の流れとして介護現場では流、それぞれに介護が語られている現状である。
 
⑥今必要な介護とは
 今私どもはどの流れが介護の本流であるかなど語る必要を感じてはいない。今必要なのは要介護者一人一人に必要な介護は何なのかを明確にし、それにアプローチする現実性が必要なのである。「介護のこころ」をもち「介護過程」の手法を使い介護される側に近づき「介護計画」を作成し少しでも要介護状態を改善するために利用者にフィットしたADL改善介護手法を駆使する必要を感じているのである。その実践を必要としているのである。その実践を保障する為に日本の介護があるし、それを今私どもは「日本の介護」と呼ぶことにする。何も私どもの出自は関係ない。利用者に必要な介護を計画し、実践し評価する為にまた、それを保障するために日本の介護論と介護技術を整理する必要がある。
 今、その整理された「介護論」と「介護技術」を人に伝える努力を必要としている時代でもある。

←第1章に戻る | 調査研究メニューへ戻る | 第3章を読む→