調査研究

 

「日本の介護」を必要とする国、
必要とする人々に伝えるために(3)

 

(2016年2月23日)

社会福祉法人陽光 理事長

金澤 剛

第三章 日本の介護問題・特に介護人材不足について

 

1.2025年問題としての介護職不足とその解消のための具体的施策


よく言われる話しではあるが厚労省の推計によると団塊の世代が75歳以上の後期高齢者になる年である2025年には全人口の18%となり、必要な介護職員は253万人、2013年度の介護職員は171万人であり、2025年までに必要な介護職員を253万人満たすためにはあと82万人の増員が必要である。その為に今の介護職の増員ペースのままでいけば215万5000人しか人員を確保できない見通しで約38万人の不足が推計される。
一方、国は重要政策の最大項目として「介護離職者ゼロ社会の実現」とし結果的にこの人材確保が政策の重要な柱として位置づけられるに至っている。
そこで厚労省はこの春「総合的な確保方針」を策定してその柱は
第一に「参入促進」
第二に「労働環境・処遇の改善」
第三に「資質の向上」
を掲げた。
そして実現させるための具体策として中高年など含む多様な人材の参入をはかりキャリアパス等を構築し、しごとにやりがいを自覚できる方策を具体化し、また介護福祉法の資格取得方法の見直しをし、その資質の向上を計るなど、様々な具体策を掲げている。そしてその資質向上に比例した賃金体系の構築等が語られている。
そして一方、深刻化する人材不足に対し外国人介護士の受け入れが一方で議論されている。たしかにこれまで経済連携協定の枠組みによりインドネシア、フィリピン、ベトナムより約1500人が介護士をめざし、介護現場で受け入れている。たしかに介護福祉士試験をめざし働いてはいるが、それはあくまで人材交流の枠であり、日本の人材不足を補う為の方策でありません。そこで政府が決めたのは「外国人技能実習制度の介護分野への拡充」である。
国のデータによると2012年末で技能実習生の数は約15万人であり、この年には約68000人が新規に入国している。その多くは農業、機械、繊維、衣服などといった職種の単純労働に従事している。
この制度の中に介護労働者を位置づけようとの議論である。私は時代の流れとして2025年問題の重要な課題として介護人材の充足への課題は極めて介護世界ににあって重要な問題と考える。
それは確かに38万人もの不足を充足させることは天文学的数字への挑戦でありその為にその必要量を減らすため「地域包括ケアシステム」の構築を2025年問題の最大の課題として地域全域で高齢者を見守る社会へと構造変化を計画し実施にうつっている。
一方、介護職の充足に関しては先に記した様々な施策を計画し実行に移しつつある。そして最大の方式として外国人労働者の力を導入しようとしているのである。
だが、何か問題の設定が違っていると考えるのは私だけであろうか。結論から先に記せば、介護職の定着を本格的に考え、そして本質的に手を打つのが最大の近道のような気がしてならない。いままで記してきたように介護の職は現代社会にあって、金に換算することが出来づらい労働の現場である。対人サービスの仕事場である。その為に一時は若い人々が時代的に求めていた仕事場として映った現場でもある。若い人々にとって「やりがい」のある職場と考えられていた当時は「魂の仕事」とさえ言われたのであった。それが瞬く間に3K仕事とレッテルを張り、若い人々が遠ざかる仕事場になってしまったのである。具体的には
例えば、
平成12年の介護福祉士登録者数は210,732人、従事者は131,554人、従事率62.4%
平成24年介護福祉士登録者数1,085,994人、従事者数579,401人、従事率53.4%
今ここにデータはないがそれ以前の従事率はこれ以上であることは想像できる。要は年々従事率は低くなっているのである。問題はこのことなのである。介護保険制度が生まれた頃は介護の仕事に若い多くの人が夢を見たのである。それが介護現場で実際に仕事をはじめると次々と夢破れ介護から去っていくのが現実なのである。
その理由は先に記したように2つである。
第一は、給料に代表される処遇・待遇の悪さである
第二に、介護職の専門性へのあやふやさである。
この2点の解決なしに必要な人材を外国に求めたところ、時間とともにこの宿題は常に出現してくる。
時代の少子高齢化は何も我が国だけの問題ではなく、時を経ずして介護労働者の送りだし国にも到来する問題であるからである。この問題に関する現実的な説明は後の台湾の介護問題の項にて説明する。

2.東南アジア諸国における少子高齢化傾向と「専門的介護」の必要性

①日本の近代化と介護職の誕生
先に記してきたように、日本に於いての戦後は一貫して農村型地域社会の崩壊過程の時代と言い換えることができる。戦後の経済成長は農村から都市へとの人口移動を必然化し結果的にそれは日本の家族のあり方も変え、農業を支えてきた大家族から核家族へと変化させるのも当然のことであった。その結果高齢者の介護も、家族介護から社会介護とでも言える変化を生じさせたのである。
一方戦後が生んだ少子高齢化社会は必然的に家族による介護から他人による介護を生み、介護の社会化をも生じさせた。そこには必然的に介護を専門とする職業をも生み、それは「専門的介護」を生むに至ったのである。かくして日本には「看護」と同様な領域の中から「介護」が生まれ、その独立、自立した領域として現在成長しつつあるのである。
そしてまた経済のグローバル化はODA対象国である東南アジア諸国をも経済発展を生み、高度産業化社会へと変化させるに至りつつある。そのことは日本に於いて生まれ育ちつつある「介護」を必要とする社会となることなのである。
現在、台湾、韓国あるいは中国海岸部等の経済発展をしつつある地区に於いては現実の課題となりベトナム、タイ、ミャンマー、インドネシアなどの諸国は近い将来の課題として現在語られつつあるのだ。
そこで次に各国の状況を少しさぐってみよう。

②アジア諸国における少子高齢化の進行状況
世界保健機関(WHO)の定義によると
高齢化社会とは65歳以上の高齢者が人口の7%~14%を占める社会
高齢社会とは65歳以上の高齢者が人口の14%~21%を占める社会
超高齢社会とは65歳以上の高齢者が人口の21%以上を占める社会
と定義されている。アジア諸国の高齢社会(高齢化率14~21%の社会)に入ると予測されるそれぞれの年は
香港で2013年、韓国2018年、シンガポール2021年、タイ2022年、中国2026年となっている。しかも高齢化社会から高齢社会への移行に要した年数は日本の場合、7%の高齢化社会は1970年でありそれが倍の14%の高齢社会入りは1995年であり、要した年数は25年である。以下、表にすると

  7% 14% 倍加年数
韓国 1998 2018 19年
台湾 1994 2017 23年
シンガポール 1999 2021 22年
中国 2001 2027 26年
タイ 2002 2022 20年
マレーシア 2021 2045 24年
ベトナム 2016 2033 17年
インドネシア 2023 2045 22年
フィリピン 2035 2070 35年

などであり、フランス115年、スウェーデン185年、英国47年、ドイツ40年などのヨーロッパ諸国と比べると格段の違いである。
しかもその速度は高齢化社会入りが2025年以降になるインド、フィリピンを除けばアジア諸国の高齢化社会化するスピードは日本を上回ることとなるのである。

 

③アジア諸国の少子化、台湾にそれを見る


 アジア諸国は高齢化のハイスピードと、少子化のスピードアップも同時に進んでいる。以下、国連人口ディビジョンによると以下の表のごとくである。


上記表の2の出生率とは合計特殊出生率のことであり一人の女性が一生の間に産む子どもの数のことであり、15歳から49歳までの女性の年齢別出生率の合計したものである。また、人口置換水準とは人口を維持するために必要な合計特殊出生率のことである。

 

2のごとく、出生率では日本1.03、韓国1.23などマレーシアの20.7まではいずれの国も人口置換水準を下回っていて人口減少国となっている(2008年現在)また、他のアジア諸国も時間の差こそあり、その傾向をストップさせる要素はない。

 

 また、表3のごとく、一世帯あたりの構成人数も減少している。中でも一人っ子政策を実施した中国、あるいは急激な都市化が進むタイなどでは低下が進み、2020年には平均3人になると見込まれている。

 

 香港3.0人、韓国3.3人、台湾3.1人等他の国々でも同様の進行をしている。このようなアジアの多くの国々では日本同様、少子高齢化に加え一世帯当たりの人数が減少し、核家族、小家族化が進み必然的に家庭介護力の低下の進行を止めることが出来ない。

 

  東南アジアの米作地帯では伝統的に親の介護等介護の必要な人の介護は家族扶養が親孝行の基本的道徳倫理であるが、その倫理観に基づいた介護も現実の少子化 家族では不可能になりつつあるのである。その意味で少子高齢化社会の先進国日本で生まれた「介護」と「介護技術」と「それを保障する施策」は各国必要とし 始めているのである。

 

  日本に於いては昭和から平成に変わる頃、社会構造の変化は家族による介護から社会全体による介護へと変化することを要求し、必然的に公的介護保険を生んだ のであった。ほぼ同じころ、台湾に於いて老人福祉法の改正がなされた。その理由は時代の変化は老人福祉法制定時と著しく変わり時代に対し陳腐化した為であ るとの当然の改正であった。

 

  しかし、その目的は日本のそれと逆の方向に向かっていた。それは伝統的な家族扶養が親孝行を基本的道徳倫理とした儒教文化の価値観にもとづきその認識の欠 如を問題視し、同法の改正の趣旨はこれまでの施設中心の対応から通所介護等を含む在宅福祉へと要点を移すこととし、その結果むしろ家族による扶養義務の強 化につながっていったのであった。日本とは逆の方向を生んだのであった。

 

 その為に家庭介護力の低下の現状に対して家族介護の代行者にてそれを補う風潮のますますの強化を生み、それを外国人労働者に依存する動きはますます明確になっていったのである。

 

 この動向は今日本が抱え、今後解決しなければならない課題でもある。

 

  それは日本に於いて先に記してきたように圧倒的な介護人材の不足に対し他産業から、あるいはシルバー人材からあるいは諸外国からその不足数を充当させると 様々な施策案が語られている。そこには単に介護労働力の充当の為にとの案である。先に記した台湾に於いて家庭の介護力が不足する。それを単にメイドを雇い 充当する。それも安価なそれをそのために必然的にそれを海外に求めそれで埋めてきたのである。

 

  今、日本で語られているのも同様である。だが、台湾にあって現在介護保険の計画準備をしているが、遅々として進まない。その理由はたくさんあるが、その一 つとしてこの外国人労働者労働を公的介護保険制度の中での位置づけの問題である。今の所公的介護保険の支給対象からはずれる案になっている。このことに対 し、当然利害の対立が生じているのである。

 

  だが、現実はその議論とは別に外国人ヘルパーの送りだし国をも介護力不足等が生じ、送りだし能力に限界を生じさせつつあるのである。その結果、介護の専門 的能力の向上の必要性が台湾にあっても現実味を帯びているのである。この様は日本に於いても同様の事が想定できる。その為、少し深く考えてみよう。

 

 日本において2025年問題の解決策として外国人労働力を日本に導入することでその策の一つとしようとの案が現実味を帯びて進行している。それに対して賛成反対の意見が多々聞かれるようになってはきているが圧倒的不足は時の流れとして外国人労働力に依存するしかない現実であろう。

 

 そこで問題なのは時代の流れとして、特に東南アジア諸国をも時を経ずして少子高齢化、ひいては介護の必要度がまし、介護を公的に保障する必要を生み、社会全体の課題となることが見えているのである。

 

  例え、日本に於いての介護人材不足を海外労働力で補ったとしてもその送りだし国で介護人材不足が現実になり、その構図が遠からず破綻することが想定される のである。単に介護労働力不足をメイドの導入として外国人労働者にて充足することの不安定さ、そしてその破綻していく過程が十分予想されるのである。

 

 今日本に於ける2025年 問題解決の重要なキーワードは東南アジア諸国からの介護専門職予備軍を日本の介護現場に導入し、教育し「日本的介護」のスキルを身に付け、介護が必要に なった母国へ帰るとの循環システムであろう。その過程を踏むことが不足した台湾を見ることにより、今私どもがどのようなシステムをつくれば良いか見ていき たい。

 

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