特別講演『健光園の歩みとこれからの社会福祉の課題』小國 英夫(2017年10月14日)

2017.10.14.
社会福祉法人 健光園
理事長 小國英夫

一般社団法人国際介護人材育成事業団/特別講演
『健光園の歩みとこれからの社会福祉の課題』
「あすのために~脱・老人ホームの試み」を通過点として


【はじめに】
●只今ご紹介頂きました社会福祉法人健光園理事長の小國英夫でございます。本日はご多忙の中、遠路、京都・嵐山までお越し頂き感謝しております。本事業団・金澤理事長さんからのご依頼がございましたので、しばらくお時間を頂いて「何故『脱・老人ホーム』にチャレンジしようとしたのか」「今でもそのように考えているのか」「それは果たして可能なのか」等について私自身の反省を含めて出来るだけ率直にお話したいと思います。
●「あすのために~脱・老人ホームの試み」(1981年、ミネルヴァ書房・OP叢書)は残念ながら相当以前に絶版になっておりますが、古書としてアマゾン等で購入することができると思いますので、ご一読頂ければ幸甚です。内容はお配りした別紙(目次)の通りです。出版当時は「老人ホームの理事長・施設長が『脱・老人ホーム』と言い出した」ということでマスコミ等にいろいろ取り上げられました。
●社会福祉法人健光園はお蔭様で来る2019年4月1日に創立70周年を迎えます。本日はこの70年間の主として後半部分に焦点を当て、健光園が何にどのように取り組んできたか、また、5年前に掲げた法人理念「生涯地域居住」にどう取り組もうとしているかを中心にお話しさせて頂きます。

【20世紀最後の四半世紀における世界の福祉】
●「あすのために」を出版した1981年といえば国際障害者年です。そのテーマは「完全参加と平等」であり、ご案内のようにノーマライゼーションやインテグレーションという考え方がその後の日本の社会福祉にも広く且つ大きな影響を与えました。
●それに先立って1975年には「障害者の権利宣言」が国連で採択され、更に古く国連は1959年に「児童権利宣言」を採択しています。これらは全て1948年の「世界人権宣言」を基本としています。
●しかし、高齢者の権利宣言は未だに行われていません。但し、1982年の第1回高齢化に関する世界会議(ウイーン)において、世界人権宣言の内容は全て高齢者の権利でもあることが確認されています。
●更に1999年の国際高齢者年において国連総会は「高齢者に関する国連原則(高齢者の自立、参加、ケア、自己実現、尊厳の確保)」を採択しています。また、国際高齢者年のテーマは「すべての世代のための社会をめざして」でありました。


【各国での福祉見直し】
●日本では1973(昭和48)年に田中内閣が福祉元年と銘打って年金、医療、福祉の改革を打ち出しました。しかしその年の秋に起こった第1次オイルショックは世界の社会保障や社会福祉に大きな影響を与え、その後の各国における「社会福祉の見直し(抑制、多元化、民営化等)」につながっていきました。サッチャー、レーガン、中曽根等の政権における見直しは有名ですが、スウェーデンにおいても1992年にエーデル改革等を行っています。

【オイルショックの中での特養建設】
●実は健光園が初めて特別養護老人ホームを立ち上げたのはこのオイルショックの影響をもろに受けた1975年の夏でした。当時の特養施設数は全国で539施設であり現在の6~7%程度でした。現在その特養は老朽化したため解体され、この健光園あらしやまの特養(2012年7月開設)へとリニューアルされました。
●健光園は創立以来四半世紀にわたって養護老人ホーム一筋に取り組んできました。しかしご利用者の中に病弱な方が増え、1970年度に医療棟を新築してその対応に取り組んできました。しかしその取り組みも限界を迎え特養建設計画に着手した次第です。
●医療棟は特養開設と同時にレントゲン装置なども備えた診療所へと発展しました。病院での医療ではなく生活の場での医療を追求すべきだと考えたからです。常勤の臨床検査技師や嘱託のレントゲン技師も配置し、夜勤専任の看護婦を採用して、仮に入院してもその期間を短期間にすることができました。
●広い空地は運動場にしました。運動場付きの老人ホームは珍しく、いろいろな行事には地域の子どもたちもにぎやかに参加しました。
●オイルショックのさなかの特養建設は本当に大変でした。日本小型自動車振興会からの補助金は既に決定していましたが、それを返上して建設を断念しようと思いました。しかし振興会の役員さんに叱られて建設計画を大幅に変更して取り組むことにしました。そのため、やむを得ず居室は当時の基準ギリギリの8床室(44㎡)にしました。その代わり広い食堂とデイルームをつくりました。それらは一体的に使える構造で面積は両方で300㎡近く、ご利用者の日常を活性化することに大いに役立ちました。運動場やデイルームなどは地域の資源としても活用され、いつも賑やかな老人ホームでした。

【特養開設後の取組】
●特養開設の翌年(1976年)に地域の有志の人々と一緒に地域福祉懇談会(後の嵯峨広沢嵐山老人福祉懇談会)を立ち上げました。これには京都市社協のスタッフの強力な支援がありました。その活動の中から宅老所活動も生れ今日の学区社協による活動につながっています。
●更にその翌年(1977年)には京都で初めてのショートステイ(6床の専用居室と詰所)をはじめ訪問入浴サービスや配食サービスを開始しました。特に入浴サービスでは広い京都市内を走り回りましたが、この事業により行く先々の人々が関心をもち、在宅福祉サービスが広がるきっかけになったように思います。
●この頃、福祉用具への関心が広がり始めていました。健光園では1979年にアプローチベッドを開発し実用新案を取得しました。このベッドはご利用者と職員の距離が短くなることで介助がしやすくなるだけでなく車椅子などへの移乗も安全にできるため、寝たきりを予防することにも役立ちました。しかし値段が高かったため残念ながらあまり広がることはありませんでした。健光園ではその後も立ち上がり補助機能付きの車いすや組み合わせが自由な足つきの畳等を開発しました。
●この他、1981年には当時同志社大学教授であった岡本民夫先生の指導の下で老人処遇情報処理システム(CANPS)も開発しました。これは記述文ブックというデータベースを活用して優れた処遇方法を多くの職員が共有できるようにすることで、処遇水準を向上させようというものでしたが、PCへのなじみが不十分な状況の中で操作性にも多くの課題があり、普及させることができませんでした。「あすのために~脱・老人ホームの試み」を出版したのもこの年でした。「脱・老人ホームの試み」はこうした各種の取組の中から生まれた実践的な提案でした。

【在宅サービスで赤字決算】
●この頃の健光園は各種の在宅福祉サービスへの取り組みにコストが掛かり、赤字続きでした。赤字は1979年度に始まり、累積赤字は1985年まで続きました。当時私たちは民間社会福祉事業が常に黒字であることはあり得ないと考えていました。実際、1969年に発足した後援会からの毎年の寄付金は経営を資金面で、また心で支えて下さいました。また、いろいろな個人や企業から寄付金を募集するには私たちが取り組んでいる事業の社会的意義をシッカリと伝えなければなりません。そのためには常に事業の目的や価値、またその方法の有効性を考えなければなりません。単にお金が足りないからということだけでは寄付金を集めることはできないからです。

【高齢者地域共同住宅やその他の独自事業】
●こうした中で1983年には施設に隣接していた築10年の女子学生用の寮だった建物を家主さんに改修して貰い、一棟借りして日本初の高齢者地域共同住宅事業(23住戸)を始めました。この事業はニッセイ財団から第1号の助成金(1,000万円)を受けてスタートし約30年間続きました。これは在宅福祉サービスの効用と課題を確認するための一種の社会実験でした。これにより施設と住宅の根本的な相違点を明確にすることができました。また脱・老人ホームの試みとして多くの新聞や雑誌が取り上げてくれました。全国からも多くの見学者がこられました。お蔭で宣伝費は全く使わずに全住戸がうまりました。
●しかしこの事業は1985年度の厚生省監査で主席監査官からは「もぐりの老人ホーム」という酷評を受けました。しかしニッセイ財団からの助成事業ということで廃止命令だけは逃れることができました。またこの事業の収益とオムロンの協力による物品販売の収益が赤字解消に大いに役立ちました。
●1987年には独自事業として痴呆性老人(認知症高齢者)のデイケアを開始しました。これには多くの意欲的なボランティアさんが参加して頂きました。これがのちのデイサービスセンターB型開設(1991年度)につながりました。

 

【理事長と施設長の分離】
●ところで1989年度まで理事長・施設長は私が兼務していましたが、1990年度には私が施設長を退職し、理事長と施設長を分離することができました。しかしこの段階の理事長は現在のような専任理事長ではなかったためその後にいろいろな課題を残しました。
●そこで1992年度に社会福祉法人のあり方を検討するための法人プロジェクトチームを発足させいろいろな角度からの検討を行いましたが、根本的な課題解決には至りませんでした。

【1990年代の取組~ももやま開設と二元的運営】
●その後、後任の施設長が大いに活躍して前述のデイサービスセンターB型の開設をはじめ在宅介護支援センター(1993年)、ホームヘルプサービス(1996年)、訪問看護ステーション(1998年)等を次々立ち上げました。
●しかし、養護老人ホームは年々老朽化が進み、特養も前述のような事情から8床室中心でしたから、何とかこれらの課題をクリアしようと必死に努力しました。そうした中で京都市からJR桃山駅に隣接した市有地の無償貸与の提案があり飛びつきました。当初の計画では嵯峨地域の特養(当時70人定員)から相当数のご利用者が移転することになっていました。それにより嵯峨地域のリニューアルも一気に進むという計画でした。
●ところが京都市から突然、嵯峨地域の特養からの利用者の移転は絶対認めない、純増で進めるようにという強い指導がありました。ということで2000年の介護保険スタートと同時に定員80名の新しい特養を伏見区の桃山地域で開設いたしました。併設事業としてはショートステイ、デイサービス、ホームヘルプサービス、ケアプランセンター、在宅介護支援センター(後の桃山地域包括支援センター)、それに児童館と多彩でした。こうして常に元気な子どもたちの声が響く老人福祉総合施設が誕生したわけです。この施設はユニットケアのさきがけにもなりました。
●この時点で健光園の施設は嵯峨地域(京都市の北西)と桃山地域(京都市の南東)に分かれて運営されることになりました。これがその後10年間の二元的運営の始まりでした。そして嵯峨地域のリニューアルという懸案は完全に残ってしまったわけです。

【介護保険後の取組と老朽施設のリニューアル】
●一方、桃山地域ではスタートしたばかりの介護保険制度を追い風に10年間にわたって精力的に事業拡大が進みました。別紙参照(法人パンフレット)
●こうしたことから一時は法人分離という話も出ましたが、嵯峨地域のリニューアルが全く進んでいない中で法人を分離することは絶対にすべきでないという結論のもとに総力戦で今日まで取り組んでまいりました。お蔭様で2012年には嵯峨地域の特養がリニューアルされ、2016年には養護のリニューアルも完了いたしました。
●2011年には新・役員体制がスタートし、法人の一元化への取組みが始まりました。そして社会福祉法人改革が進む中、強力な経営組織の構築に向けて現在懸命に取り組んでいるところであります。念願の施設リニューアルにより健光園のハード面の大きな課題は何とかクリアしましたので、これからはソフト面といいますか、内容の一層の充実に取り組むことが課題となりました。ただ年々厳しくなる介護保険制度と職員確保の困難さが行く手に大きく立ちはだかっています。まさにこれからが正念場だと思っています。

【脱・老人ホームに逆行して介護保険中心の経営】
●しかし振り返りますと1981年に「脱・老人ホーム」を宣言したにも関わらずその後の健光園はももやま、はなぞの、藤城と特養を開設し、あらしやまにおいても規模を拡大してきました。ももやま開設以前は特養が70名、養護が50名でしたが、現在では特養は4カ所合計で249名に膨らんでいます(養護は現在40名)。
●健光園は現在児童館等を含めて32事業に取り組んでいますが、財政的には特養の収入に依存した状況が続いています。また、全収入の9割が介護保険事業の収入だという状況です。児童分野には3カ所の児童館等を中心に取り組んでいますが障害者分野には殆んど取り組めていません。つまり地域の福祉課題への総合的な取組ができていないのです。これからの健光園は介護保険事業中心の事業構造の改革に取り組む必要があります。

【介護保険制度と生涯地域居住】
●更に重要なことは「生涯地域居住」という法人理念を掲げて既に5年以上になりますが、この理念の実現にどのように取り組むかは今なお模索中です。この理念は「誰もがその生涯を社会の一員としての関係を結びつつ、住み続けたい地域社会で主体的に生き切ることのできる社会の実現」を目指しています。即ちこの理念は高齢者福祉だけの理念ではなく、コミュニティの再生を目指しているのです。暮らしの土台としてのコミュニティが弱体化すれば生き辛さは拡大再生産され続けるからです。
●そうなると法律や行財政システムで対応せざるを得なくなります。その典型が介護保険制度です。実は私は介護保険制度の誕生に大きな期待をもっていました。それは介護保険制度が私たちの暮らしを豊かにする生活の保険(助け合い)だと思っていたからです。
●しかし誕生したのはそれとは全く異なるものでした。誤解を恐れずに言えば措置制度と健康保険制度の悪いとこ取りの制度だったのです。決して措置から契約へのパラダイム転換ではなかったのです。要するに医療費を膨張させている社会的入院を医療から排除することが主な目的だったのです。しかしそれが社会に受け入れられた背景には、当時家庭で主として高齢者の介護を担っていた妻、嫁、娘が介護地獄から解放されるという期待があったからです。
●残念ながら介護保険制度誕生の過程では殆んど「介護とは何か」の議論はされませんでした。生活の一部、人生の一部である介護をアウトソーシングするだけのシステムとして誕生したのが介護保険制度でした。その結果、介護保険サービスの利用によりそれまでの人間関係は一層崩れて行きました。また、介護保険の要介護認定ではADLだけが注目され、QOLなどは全く度外視されました。更に介護のあり方に関しては当時の施設介護モデルをベースにしたため、最も優れた介護は施設にあるというイメージが急速に拡大されたのです。それが大量の特養待機者を生み出した大きな要因です。
●こうした結果、地域ケア・在宅ケアを目指すとされていた介護保険制度は介護保険施設を更に拡大することになったのです。そのため介護保険給付の多くが施設介護に向けられ給付は膨張の一途を辿りました。そこで政府は給付の抑制に躍起となり「自立のための介護予防」に軸足を置き、「介護保険を卒業する」というスローガンを掲げて、地域包括ケアシステムの一環として一昨年度から総合事業を展開し始めました。
●更に現在は「地域包括ケアシステム強化法」により「我が事・丸ごと」政策を推進しようとしています。政府はこれによりあたかも地域社会(コミュニティ)の構造や機能が強化され、人々の暮らしが豊かになるように喧伝していますが果たしてそうでしょうか。
●そもそもコミュニティは私たちの暮らしの場であり、生活課題を共有し改善するために学び合い助け合う関係ですから、市民・住民が主体的に創り上げて行くものであり、法律や行財政(権力)でつくりあげるものではありません。それを強行すれば戦争中のような地域組織が誕生するだけです。
●従って「生涯地域居住」という理念の実現に向けては私たちが仕事を通してだけでなく、一人ひとりの市民・住民として、自分が居住する地域社会においてコミュニティ再生に取り組んで行く事が重要だと思います。そのためには職員であると同時に市民・住民として活躍できる基本的な条件を雇用者の責任として創り上げることが不可欠だと思います。
●そのためには労働時間の短縮、休日休暇の拡大等が重要であります。こうした取り組みを現代における産業福祉だと考えています。真の地域福祉の実現にはこのような産業福祉が車の両輪になることが重要だと考えています。真のワークライフバランス、真の働き方改革を進める必要があると思います。少子高齢化による深刻な労働力不足が進行する中で果たしてこうしたことができるのか、それは単なる夢物語ではないか思われるかもしれませんが、これは職員の働き甲斐や生き甲斐にもつながることであり、職員の人間的成長や定着性向上にもつながると思います。また、ご利用者サービスの質の向上という面でも、コミュニティ再生への取組の経験は大いに役立つと考えます。

【地域包括ケアシステム強化法】
●さて、此処にもう一つ取り上げたいことがあります。それはこの度の「地域包括ケアシステム強化法」の一環として、従来は市町村の任意とされていた地域福祉計画の策定が市町村の努力義務となったことであります。政府は「住民主体による地域共生社会の実現」を謳っていますが、それを市町村の地域福祉計画に基づいて市町村行政主導で行おうとしていることです。そのために新しい地域福祉計画を福祉各分野の計画の上位計画に位置付けていることです。これでは真の住民主体によるまちづくりは実現しません。更に心配なのは地域課題の解決を住民に委ねようとしていることです。勿論、地域における生活課題には市民・住民が自発的に解決すべきものが相当あります。しかし行政でなければ解決できない課題も少なくありません。それらがごっちゃにされて市民に委ねられることは許されません。
●既に現在でも地域包括支援センターを通して行政は多くの地域生活課題の解決を市民・住民に委ねて来ています。総合事業もその一つです。しかし地域包括支援センターの多くは民間に委託されていますが、基本的には市町村が各種行政サービスのワンストップ機関として設置すべきものであります。
●また一方では社会福祉協議会が行政に便利遣いされています。地域福祉推進のための真の住民主体組織であるべき社協が今や事業団化されています。社協は本来地域における福祉ニーズ(生活課題)と、その改善に役立つ地域資源を組織化して、市民・住民として解決すべき諸課題に取り組むと同時に、企業や行政が果たすべき役割や責任に対して必要なソーシャルアクションを行うことが基本的な役割である筈です。その意味において社協改革は地域福祉における最優先課題だと思います。
●しかし、この度の地域福祉計画においてはますます行政主導が強化され、市民・住民がそれに追従させられる構図が誕生するのではないかと大いに心配しております。果たしてこうしたことでより良いコミュニティは生まれるのでしょうか。

【国際介護人材育成事業団が目指すもの】
●さて、いろいろなことを申し上げましたが、本事業団においては高齢者介護を中心とした国際貢献のためにアジアと日本の介護文化の積極的な交流を目指しています。政府は技能実習制度に介護を加えることで「優れた日本型介護」を各国に広めることが国際貢献につながると考えているようですが、果たして「日本型介護」とは何なのか、そのどこが優れていて、何処が問題なのかを広い角度から検討する必要があります。
●そのことを怠れば「優れた日本型介護」を実践的に教育するという名目のもとで、実態は日本の介護人材不足を補うだけの結果になりかねません。これでは今までの技能実習制度の問題点が介護分野にまで広がることになり、国際的にも顰蹙を買うだけです。
●アジアでは急速に少子高齢化が進んでいます。そこに日本型の施設モデルによる介護を持ち込んだらどうなるでしょうか。この度の介護技能実習制度では実習生に与えられる職場は特養や老健などの入所施設です。これでは「優れた日本型介護」は施設モデルだということになり、もしそれを各国が模倣すればそれぞれの地域社会がもっている介護文化を無視することになるのではないでしょうか。
●むしろ日本こそアジアから学ぶべきものが少なくないと思います。日本社会が「生涯地域居住」を可能とするためにはアジアから学ぶことは沢山あると思います。また同時に日本社会が戦後の急速な経済発展の中で何をどのように失って来たのかをアジアの人々に学んで貰うことも重要です。
●介護の本質は人と人との関係の中にこそあります。その関係を失っては介護は成り立ちません。人は必ず老いて死を迎えます。コミュニティにおける人と人との関係の中で、全ての世代と男女が互いに老いと死を学び合うことこそ長寿高齢社会における重要な課題です。こうしたことをベースに介護技能実習生がシッカリ学べる環境を作って行く事、また、彼らの学びから私たちがより多くのことを学ぶことが本当の国際貢献につながると思います。長時間のご清聴ありがとうございました。