『介護人材の国際的循環を考える』

送り出し国から受け入れ国への一方通行の時代を終わらせるために

あるいは、循環しなければ外国人介護人材も枯渇する

20022年12月11日  金澤 剛

Ⅰ はじめに

 もう言い尽くされているが、

超高齢化社会を先頭で走っている日本は今後も圧倒的な介護人材が予測されている

予測によれば

・2023年度には約233万人(+約22万人(5.5万人/年))

・2025年度には約243万人(+約32万人(5.3万人/年))

・2040年度には約280万人(+約69万人(3.3万人/年))

(  )内は2019年度(211万人)比第8期介護保険事業計画に基づく介護職員の必要数について

 要は2040年に69万人不足するとの推計である、今より約3割の増加を必要としている。

この未来予測に対し、介護の働き方改革、ロボットを導入、リタイアした高齢者の介護現場に動員、従事者の賃金アップ、介護のイメージアップなどの施策を実施中、しかしどうも必要数の増加速度に追い付いていないのが現状のようだ。

 それに対して、現実に一番有効な手立てと思はれる外国人介護人材の導入がようやく稼働エンジンがかかり始めたようだ。

 しかし、それも多々問題、課題を抱きながら、また、実際に外国人介護人材を導入してみての課題も現出し始めている。

 さて、今それを解決することにより、何とか人材不足の現状と未来予測から脱していきたいものだ。

 

課題

  1. 受け入れている外国人介護人材は出稼ぎ労働者であって必要に応じて帰国する人材でもあり、不安定である。外国人労働者全体では、3年後までに帰国‐62.3% 5年後‐69.0% 10年後‐73.4%である。(JICA 2030/40年の外国人との共生社会の 実現に向けた調査研究)
  2. 安定化を促すための介護の伝習は、その介護そのものが日本の必要で生まれたのだが、母国に必要な技能との差があり、母国ではその介護を使った就職先がない。簡単に言えば帰国してもマッチする職がない。
  3. 受け入れ国日本の国力低下の為、国際的労働力獲得競争に負ける。一方、母国の産業化が進み。自国にて就労が可能となりつつある。結果的に、近いうちに外国人介護労働者も来なくなり、ますますの人材不足が予想される。

 この様な予測とその状況から脱する手段を少し検討してみよう。

 一般社団法人国際介護人材育成事業団(以下事業団と記す)は、理念に介護人材の国際的循環を達成するとしている。

そのために、当面日本の介護現場にて現在介護を必要としている国、今後必要とするであろう国の若者を、人材不足する日本の介護現場にて実習、習得させ、それでもって不足対策と同時に、帰国後、母国にて介護を実践し、母国の必要に答える、との方針のもとに実践に着手した。

 当面、対象国をミャンマーに特化し、1集団20~30名の技能実習生を全国の会員事業所に配置し、実習就労に着手した。

来年4月の着任を迎えると第5期生の配属も終了する。

2022年3月、第1期生が3年をかけ技能実習2号を修了、その後、特定技能1号に身分を変えて、5年間の在留延長をして介護就労をしている現在にある。

これを手始めに、毎年同様の人材が定期的に排出されることとなった。

言葉を変えれば、事業団の目的である「介護人材の国際的循環」のサイクルが回り始める条件が整いつつあると言いえることもできる。

だがしかし、技能実習制度の全体の現実運用は、たてまえなど一切無視した運用が為され、今さら、建て前のことを云々するのは、我々だけのような気がしてきている。

 現実は、建前とは違い、実習生側も受け入れて事業所側も、循環に向けての動きなど全く意識することなく「出稼ぎ」と「不足労働者の穴埋め」策との一方通行の域を一切出ていないようである。

2020年度技能実習生調査などの調査でもそれは明確である。

 

<2020年度技能実習生調査> 介護技能実習生キャリア支援ガイド2022厚労省による

 

 雇用する側は、技能実習3号なり特定技能介護1号なりにて、2号修了後は日本で介護就労を続けてもらいたいは、ほぼ9割以上を占め、母国に帰って介護の仕事をしてほしい7.6%。

 実習生側も2号修了後は母国に帰って介護の仕事につきたいと希望者は15.5%、介護以外の仕事につきたいも15.5%、他は日本に残りたいとの希望者が過半である。との意思で動いているのが現実である。やはり建前とはかけ離れた現実なのである

循環など問題意識の埒外であり、ただ日本にての就労との一方通行の制度であるし、運用もそうなのである。

 この現実下、事業団の云う介護の国際的循環など夢物語のようだ。まして、技能実習制度の建て前のなんとむなしいことであろう。

さてそれは其れとして。我々は、頑固に理念の実践に精を出そう。

 だがしかし、今、我々が到達している場所は、循環システムがいまだに未達の為、結果的には我々が批判している状態と同じであるが。

 何故か? まずは理由を考えよう

それは現況にあってはごく当たり前のことでもあるが。その条件が今だのそろっていないのがその理由である

現実は

  1. 実習生側はあくまで「出稼ぎ」であり、受け入れ会員事業所側は不足人材の充足策であるとの位置づけである、そのため、両者とも一日でも長く在留し就労することが取り合えずの目標となっている。その手段として、例えば身分として永住可能な介護福祉士資格の取得などを努力目標になってもいる。
  2. 理念であり目標でもある「介護人材の国際的循環」がいざ実施段階に近づくと、その具体性あるいは実施方法などが問われ準備不足、あるいは具体的内実中味の検討不足問が露呈してきた。結果的に事業団の理念の共有の脆弱性とでも言うべき実際が見え始めたのであろう。
  3. 送り出し国それぞれの介護必要条件が多岐にわたりそれに向けたアプローチさえ現在にあっては見いだせない。
  4. 制度もそうであるが実践している我々も含めて不足人材の穴埋めのため一日でも長く就労を願うのが本音であって努力する方向は一方通行維持に力を注いでいる。

 

 それは、あたかも事業団の技能実習制度そのもの批判がブーメランのように帰って来ているようである。

日本的介護を実習し、習得しても、母国にあってはそれを生かす就労先がなく、この制度は建前倒れになっていることを、事業団は指摘してきたのであるが、このことはそのまま事業団に帰ってきているのである。

 

 あらための確認であるが、日本的介護は職業としての介護のシステムの事であり、結果的に介護の社会化があって、初めて成立する技能である。

特に、我々の実習生の送り出し国ミャンマーは、現在のところその成立条件がなく、国としての混乱の為、今後も当面生まれてきそうにもないのである。

 

 また、事業団が戦略とした、「現在介護を必要としている国、今後必要とするであろう国」もそれぞれに、それぞれの課題を持ち、ただ単純に日本で習得している介護を持ち帰り、実践してそれをもって再び日本に還流するする仕組みの構築は出来ず、より具体的に深く現実的な検討をしなければ実践の端緒につくことさえできない、との当たり前の前提に、ようやくつくことが出来つつあるようなのである。 

 

 それでは我々の対象エリアである東、東南アジアの状況を見てみよう。

1 今にも介護が必要な国

* 日本に実習生を出している国、

* 外国から介護労働者を受け入れて国

2 今後必要となる国

 

との区分けで見ていくが、タイなどのこの区分けの中間にある国こそ、アジア的特徴があり今後の介護そのものに対し、我々に重要な示唆を与えている

それは、産業の高度化に伴って発生する介護の準市場化を伴うことなく、拡大家族化などによって介護需要にこたえている実際を考えることでもあるが。

 

Ⅱ 東、東南アジア諸国における介護の現状

 事業団が掲げた「介護を現在必要としている国、今後必要とするであろう国」との色分けは、確かに、国の発展過程に比例するとされている。

国は、産業化の深化と共に農村型社会が解体され、介護も家庭から社会全体の事業と化すのが歴史の常であるとされているが、その色分けに沿ったものとしての戦略の提示であった。

だがしかし、事業団活動を具体的に開始し、送り出し国など実際に見聞きし、また実習生を迎える過程で単純な2原論で割り切れない実感がしてきた。

それでは、そのことを対象国を含めて代表的な国の状況を眺めてみよう。

その前に、論を進めて行くうえで必要となる倍加年数を記しておく。

 

(倍加年数(高齢化率が7%を超えてからその倍の14%に達するまでの所要年数)

 

注:日本を上回る高齢化のスピードを経験すると予測されている国については、その期間を赤字で示した。

出所:United Nations, Population Divison, Department of Economic and Social Affairs “World Population Prospects:The 2015 Revision” より大和総研が作成

 

他に比較の為

韓国 高齢化率7%:1999年高齢化率14%:2016年倍加年数:17年

フランス 高齢化率7%:1861年高齢化率14%:1979年倍加年数:115年

イギリス 高齢化率7%:1929年高齢化率14%:1976年倍加年数:47年

アメリカ 高齢化率7%:1942年高齢化率14%:2015年倍加年数:73年

である

 

1 現在でも介護を必要としている国

(イ)台湾、シンガポール

 現在、すでに介護が必要となっている国は、東 東南アジアにあってはシンガポール、香港、台湾、韓国、そして中国などであろう。

日本に遅れること十年強で、シンガポール、台湾、韓国などは高齢社会を迎えているが、その倍加年数は、韓国などは日本よりも早まっている、また超高齢社会にかなりのスピードで向かっている。

 各国とも、高齢者介護問題が最大の課題として重くのしかかり、それぞれに対策を講じてきたが、当然、各国によりそれぞれの方法手段である。

それを大別すると、日本、韓国などは共助,公助とでも言いうべき介護保険制度を確立して、各サービスラインを整備し、その利用を促すことにより、社会全体にて介護を保証してきた。

台湾、シンガポールなどでは、高齢者介護は、家族ケアとの傾向が強く、実質的には外国人家事労働者をそれぞれに必要な家族が雇用することで担ってきた。

台湾は、介護保険制度を導入しているが、現在でも、中心的に担っている外国人家事労働者に支えられての介護との調和に苦慮している。

 此の外国人家事労働者に依存する介護は「東アジア型福祉政策」(安里和光)とも呼ばれ、事業団が介護人材の国際的循環を考える場合のこの現実抜きにしては検討を深めることが出来ないようである。

それは、台湾、シンガポールなどにみられる外国人家事労働者の導入で、高齢者介護を担う「家族化政策」は、経済成長第一主義の福祉政策でもあり、「経済成長が必然的に高齢者介護の必要をもたらす」とした自然な流れを伴うことなく自国の経済成長を生んだ。

台湾にあっては、家事労働者に介護、育児などを担当させ、その分女性は就労を継続することで自国の産業の発展に寄与してきたのである。

 このそれぞれの国では「外国人お手伝いさん、メイドさん」の雇用などは、何も富裕層だけのものではなく、一般的、普通のこととして定着してきたのである。

此のことなどが台湾、シンガポールなどの飛躍的な経済発展を支える原動力ともなってきたのでもあった。

それは、先に触れてきたように、あまりに早い倍加年数で進んできた台湾、シンガポールなどの国にとっては、老親介護は、子の役割として規範を破ることなく、介護は家庭でとの伝統を継続可能としたのであった。

 言葉を変えれば「親の介護をする子」ではなく「親の介護者を雇用する子」への変化。

そのことは、日本の介護の社会化との流れと真逆な方向に流れてきた主因でもあった。

だがしかし、台湾などにあっては台湾国民の就労先の確保、並びに人材を外国に求めることの不安定性の問題並びに介護の質の確保の課題などから自国民の採用に政策誘導をかけつつある。

 違う側面では、このように介護や家事が女性による家事としてあったものが、途上国の出稼ぎ女性に委ねることは、送り出し国にあっては、子や高齢者の世話、介護を叔母、長姉、祖母などに委ねることになり、ケア労働のグローバル・ケア・チェーン(アメリカ社会学者:ホックシールド)と呼ばれ、結果的に送り出し国にしわ寄せをして初めて成り立つことでもある。

このような外国人介護労働者を採用し、「介護の家族化政策」にて高齢者介護を実施している国の介護は、日本的介護は必要としないであろう。

あるとすれば、外国人介護労働者が来なくなる、あるいは不足が生じたときに必要とされるであろう。

その時代の到来も、歴史の流れから見ると必須ではあるが。

(京都大学大学院文学研究科准教授 安里和光「東アジアにおけるケアの「家族化政策」と外国人家事労働者」参照)

 

(ロ)中国

 中国の高齢者数(65歳以上)は2019年末現在、1億7,600万人。

確かに、高齢化率は12.6%であるが、その数は日本の総人口を上回る規模となっている。

それにも増し、進行は2001年に7%(高齢化社会)に達し、2026年に14%(高齢社会)、2038年には21%(超高齢社会)に達する見込み。

 この様に中国では、高齢化が急速に進んでいる。

そして介護領域にあっては、要介護者数4,000万人に対し、ヘルパーは30万人。このように、介護人材不足が深刻であるとの現状である。

育成にあっては、2020年末時点で介護人材育成コースを設置した学校が279校となり、2013年(50校)に比べ大幅に増加した。

同コースにおける学生の募集総数は、2017年が4,798人で、2020年は約6,000人規模とみられる。

このように、介護人材の育成規模は着実に拡大している。しかし、多くの学校は学生の募集に苦慮しているのが現状だ。

それは中国にあっては、介護の主な担い手は、農村部や都市部の比較的貧しい家庭の40~50歳代の低学歴の中年女性であって、介護職そのものの社会的地位が低く、また日本同様「3K仕事」として認識され、結果的に専門的人材不足の状態からの脱出がいまだにできていないのが原因でもある。

一方、国の公的介護保険制度は、2016年に15のパイロット地域が発表され、段階的に導入が進められている。

しかし、各地域で独立した制度を導入するなどの特性もあり、当初2020年末の全国導入は見送られ、2025年までと先延ばしとなった。

当局は今般、パイロット地域の拡大、企業・従業員の保険料負担導入、介護報酬基準の整備など大きな方向性を改めて示した。2025年に向けて、介護保険制度を独立した社会保険として位置付ける目標を定めた。

 このように、人口規模、一人っ子政策の結果の少子化、また世界に例を見ない高度経済成長のスピード等により高齢者介護の実質化が最大の課題として進行しているようだ。

 一方、中国にあっては先に触れてきたように2010年にはGDP(国内総生産)が日本を抜き、世界2位に、そして一人当たりGDPは、2013年に国際移動転換論で言う7,000ドルを超え日本のへの技能実習生もその数において減少を始めた。

最早、日本に就労先を求めるより、工業化が著しい海岸地区にそれを求めるようになってきたのである。

このように著しい工業化への流れとそれに並行して生まれた圧倒的な介護人材不足は、何も国外に職を求める必要が無くなってきたのである。

また確かに、介護需要の増大はそれに従事者の不足を生じているが、それにも増し現在必要としている人材は、介護システム作りなどのより高度なスキル等を持った人材で、すそ野を拡大する要員の育成が急務である。

そのため現在、必要としている人材は現状の技能実習生とはミスマッチを生じてもいる様だ。

このように、中国では確かに介護需要が増しその対策が急務であるが、今後の介護方向が不明の為か、人材育成の方向性が定められてなく日本で語られている介護のポジションが不明であるためか、関係の在り方が現在では不明のようだ、

それは、皮肉なようであるが、日本で生まれた「介護概念」が今必要とされているようで,そのためか、日本においては技能実習制度の理念そのものの忠実な実施を要求しているようだ。

しかし、受け入れる側の実習実施機関は帰国されると困るのであって、ここにも制度の理念と実際のずれが皮肉となって表れている。

 しかし、人材の国際的循環を考えた場合、この実際に答えることが義務のようだが実際のズレは答えることとは遠ざかっている。

また、急速の経済成長と少子高齢化の進行は、その人口規模の巨大さからも外国からの出稼ぎ介護人材受け入れ国に転嫁する可能性大であり、国際的介護人材争奪戦に新たな火種をともすであろう。

 

2 今後介護を必要とする国

 特定技能制度に関わり、日本と労働者派遣の2国間協定を結んだ国は、現在13か国であり、それは以下である。

フィリピン、ネパール、カンボジア、ミャンマー、モンゴル、インドネシア、ベトナム、タイ、スリランカ、パキスタン、ウズベキスタン、バングラデシュ、インド

 それぞれの国の介護必要度を計る尺度としては高齢化率、そして、そのスピードは重要である、また、それが生じる年代における国の経済発展も然りである。

どうも、その2種類のファクターの関係がかつて言われてきたことと変化しているようだ。

 日本もそうであるが、近代ヨーロッパなどでは産業化に伴って農村社会が解体し、都市化少子化、そして介護の社会化との図式であったが東、東南アジア諸国にあっては産業の高度化と少子高齢化の順番に狂いが生じているようだ。

 その結果が、介護の必要度にも見直しと介護そのもの在り方に国により独自性が生じ、それぞれの国に必要な介護の在り方に検討が必要になってきたようだ。

いずれの国も、現況では人材送り出し国であり高齢社会未達の国でもある。

だがしかし、少子化、寿命の高齢化などにより高齢化社会から高齢社会に変わる倍加年数は年々加速され短期間になっていることも事実であり、いずれの国々も高齢者介護が課題化するし、している。

 この状況から、我々は、現在の送り出し国の事情に合った介護を作りあげる力と日本の介護の共通点を見出し共有できることを願い、その達成の一助の片隅に事業団がある事を夢見て作業を進めて行きたい。

 

(イ)タイ

 現在、タイにおいて急速な高齢化が進んでいる。

日本にあっては、1970年に「高齢化社会」を迎え、25年後の1995年に「高齢社会」へ移行した。日本はヨーロッパ諸国に比べて高齢化社会への突入時期は遅かったものの、倍加年数の25年間はどの先進国よりもはるかに短かった。ところが、東・東南アジア諸国では、最速といわれた日本と並ぶ、あるいは超すスピードで高齢化が進むことが予測されている。その一つがタイである。

 タイは、2002年に高齢化社会を迎え、2022年には高齢社会に突入することが予測されており、倍加年数はわずか20年である。

2017年時点で、タイの高齢者数は,11,312,447人で、高齢化率は11.4%である。

先に触れたように、介護は、主に家族や地域社会の相互扶助によって担われていた高齢者介護が、産業化社会に移行し 地域社会の解体と核家族化が進むことにより、介護の社会化が進展しはじめ、そして成熟化、高齢化社会に移行し、個人化・核家族化がさらに進展することで、介護のさらなる社会化が進むと説明されている。

高齢化の進展とともに核家族化や都市化などに変化し「介護の社会化」が生じると説明されている。

言わば、西洋型社会発展過程と言われてきた。

其の一般論は日本の経験してきたことにおいても実証されている。

それは、

日本では1960年代以降の産業化や都市化が進み生活様式の近代化によって核家族化等家族形態の変化が生じた。

そして、要介護期間の長期化なども合わさり、それまで家族によって担われていた高齢者の介護を家族が担えなくなっていった。その結果、2000年に介護保険制度が導入されることによって介護は社会化されたと要約される。

その物差しからみると、タイの高齢化社会への進行は異質である。

タイにおいては、日本で生じた家族形態の変化とは異なった現象が生じてきた.

 それは、タイにおいては、逆に核家族世帯の割合が減少し、拡大家族世帯の割合が増加してきたのである。

タイにおける拡大家族世帯、核家族世帯、単独世帯の割合を、1980年と2013年で比較すると、核家族世帯の割合は70.6%から49.9%に約20ポイント減少し、

逆に、拡大家族世帯の割合は、25.2%から35.7%に 10.5ポイント増加している。

また、単独世帯の割合は、4.2%から10.3%に増加している。

但し、2020年代からの変化は精査を必要としているようであるが。

 いずれにしても、産業の高度化の進展より早く高齢者の介護の進行が進み、今まで語られてきた高齢者介護の必要社会の到来条件などに狂いが生じ始めたのである。

其の主因は、少子高齢化がタイでは急激にすすんできたことなどであろうが。

結果的に、アジア型大家族形態が変化することなく産業化が進んでいることでもあるが、

そのことは、今までの高齢化社会化への社会的変化が直線的には当てはまらない模様を呈してきたのである。

これは欧米諸国と東、東南アジアにおける家族形態の違いに原因があるのかもしれない。

このことは、介護技能実習が習得した技術をそのまま母国に持ち帰る事の陳腐さの原因の一つでもありそうだ。

 一方タイの介護は、これもまた独特である。

国の基本計画は、2002年に策定された第二次国家高齢者計画が基本である。

それは、1982年から2001年までを対象とした第一次計画を引き継ぐ形で策定されたが、理念においては継承されている。

基本的姿勢は、高齢者を支える担い手は第一義的に「家族」と「コミュニティ」であり、国による福祉はあくまで補完的に提供されるべきである、とされている。

それは、住民によるボランティア活動により支えられているとの特徴に見ることが出来る。

 タイにおけるボランティア制度の最初の取り組みとして、保健ボランティアに見ることが出来る。

それは、1970年代に主にマラリアやデング熱等の感染症予防を目的とした、プライマリーヘルスケアを推進するために組織されたのが始まりである。

そこで生まれた活動は、現在も保健省の活動として継続され、全国で約100万人の保健ボランティアが養成されている。

その主な活動内容は、村落内での衛生教育、定期的な家庭訪問による栄養・食事指導やバイタ ルチェック等のごく基礎的な医療行為、タイ式マッサージ等である。

活動の管轄は、基本的には、コミュニティレベルにある保健省の出先機関である健康保険病院(日本の保健所に相当するイメージ)である。

交通費など、経費として毎月1000バーツ(1バーツ= 3.5~4円程度)の活動費が支給されている。

 次に、高齢者への保健、衛生や生活支援、介護活動を対象とした高齢者在宅ケアボランティアの活動がある。

当活動は、フォーマルな介護従事者の不足などから、コミュニティにおける高齢者支援を目的として生まれ、2018年時点で約8万人の当該ボランティアが活動している。

他に、より専門的に全国的に19万3000人の要介護高齢者が対象となっている、ケアの実施者として約1万3000人のケアマネージャーと約7万2000人のケアギバーが高齢者ケアにあたっているのが現状である。

このように、タイにあっては、コミュニティーベースの高齢者ケアシステムは、国の担当部局が制度設計をして、基礎自治体が介護基金を活用し、保健省の技術的なサポートと連携しながら、ケアマネジメント制度を整備することが目指されている。

 そして、住民に最も近い存在である基礎自治体と健康増進病院(日本の保健所的)が、各種ボランティアを活用し、高齢者や家族介護者へのサポートを行なっているのが特徴である。

また、現場レベルでは、各種ボランティアがデイケアの運営などの各種の取り組みを通して、住民レベルでの高齢者ケアを実施している。

また、ケアギバー制度によって、地域住民、特に元気な高齢者へ社会参加や就労機会が提供されるとともに、有償のケア労働力の確保が図られている点も特徴である。

 このように、中進国タイにあっては、経済発展が先進国並みに進む以前に到来しつつある介護の必要に対し、市民ボランティアの育成活用を通して何とか乗り越えようとしている。

 また、バンコクなどの都市部においては一部富裕層を対象とした有償介護施設など開設しているが利用は限定されており、日本の資本などが進出しているが一部に限られている。

しかし、ボランティアによる介護もより専門性を要求され始め、現在にあってはその限界性も課題となっている。

 さてこのような状況において介護人材の国際的循環はいかなるものか、事業団の課題の一つであろう。

* 参考文献(タイにおける高齢者介護システムの現状と課題: 低・中所得国における制度構築に着目して。三好 友良* ,奥井 利幸) 社会保障研究)

* また2017年から開始されているJICAによる「要援護介護高齢者のための介護サービス開発プロジェクト」も注目に値する

(ロ)ベトナム

 総人口は過去 10年間の平均人口増加率は1.14%で2022年は9,733万人。

若年層が多く、65 歳以上の高齢者は少ないのが特徴であるが

倍加年数は15年、これは他のアジア諸国(シンガポール22年間、タイ20年間)と比べても、早いスピードである。

  • 平均寿命も急速に延びている。
    平均寿命は 2019 年時点で 76 歳(男性 69.6 歳、女性78.1 歳)であるが、今後も延びると予測されている。
  • 合計特殊出生率2.05。

 高齢者割合の増加と、平均寿命が延びていることによって、高齢者の介護についてこれまでになかった課題が出現している。

2009 年に、高齢者に関する法律が制定されて以降、徐々に、高齢者に関する政策も整備されつつあるが、基本的には法の基本理念もそうであるが他のアジア諸国同様に伝統的な家族介護が色濃く反映し、介護の担い手は家族であるべきという考え方が主流となっている。

親を介護施設などに入居させるのは親不幸という意識が根強く残っている

(憲法にも規定されている)

1992年憲法第64条にも「親は子供を育てる責任がある。

子供には祖父母と両親を尊重し、世話をする責任がある。」と明記。

2014年「家族と結婚に関する法律第71条2項」にも「特に両親が市民活動の能力を失う、病気になる、年をとる、障がいを持った場合、子供には両親の世話をし、扶養する義務と権利がある。多くの子供がいる家族の場合、彼らは共同で両親の世話をし、扶養しなければならない。」と明記されている。

 しかし、現状の都市部では経済成長に伴い、核家族化や共働きが一般的になりつつあり、現代にあっては家族の介護負担が深刻な課題になりつつある。

それは、例えば、寝たきり率12%であり(ベトナム国 FC 方式による通所型予防介サービス導入に係る案件化調査 業務完了報告書JICA、)日本の 1.7%と比較しても大幅に高いことなどにもその必要性が増している。

現在、要介護状態となった場合の受け皿は、国や宗教施設が提供している貧しい方や身寄りのない方のための入居型の施設がほとんどである。

 

 また医療行為以外のケアは、家族が担うのが一般的であり、家族の中でも女性が役割を担うことが多い。そのため介護者は仕事を辞めて親や配偶者の介護に専念することなども普通である。

 介護を担う専門的職は、今日この頃、育成され始めた。

きっかけは、日本との2国間協定で2009 年の EPA 構想を導入した時である。

当時、ベトナムではそれが明確に無く、一番近い職業は何かという話題になり、その時に病院看護助士に近い仕事をしていた職層である「ホーリー」が近いとされたため、「介護士=ホーリー」となった。

その後分離し、介護士として新たな職業として公式に認定され、EPA介護の立場を確立するに至ったのである。

しかし、それも今日この頃であり、先に示したように国の外交政策上必要から生まれたことであり、概念あるいは役割などの確定にはいまだ至っていない。

その確定段階の現在企画中の中身は、介護職はホーリーとは違い、高校卒業が条件、また職業訓練、教育カリキュラムはホーリーにはないが、介護職には2年間あり。職場は、ホーリーの場合は病院、介護職は病院と介護施設。

業務は、高齢者の介護・介助業務。主な業務内容は、排せつ介助や排せつ物の処理、および身の回りの世話などと企画されているが、普及には至っていない。

このように、介護専門職は生まれたばかりであり、その社会的地位も低く認知されている。

従って、現実的には看護業務の延長上にあり、介護の領域作りはまだ未熟のようである。

現在、日本で介護実習をしている実習生の帰国後の仕事場としては、いまだに身分等が定まっていなく、不安定であり実習との落差も大である。

 また当然、高齢者介護も家事として認識されていて、結果的に家族による家庭介護が主流となっているので、専門の介護人材の業務領域は未定の状態である。

 

Ⅲ 東、東南アジア諸国においてはどの国も高齢者介護が必要となりつつある。

事業団は、当初専門的介護は産業化の進展による社会変化の必然として生まれてくる。

その結果、①今にも介護が必要な国、②今後介護が必要となる国と分けて考えて来た。

しかし、現実に実習生を迎い入れるなどの作業を開始し始めると、その分類方法に疑問を抱かざるを得ない現実に多々遭遇してきた。

それは、これまでケア、特に高齢者介護や社会福祉制度の先進地域は欧米や日本などの先進地域がモデルで語られ、東、東南アジアなどの中進国や発展途上国などは遅れた国、やがてモデルに近づく国、との認識で語ってきたのが原因であろう。

それが為か、事業団も含め、介護人材は、途上国を送り出し国とした場合、一方通行になるのであろう。

しかし現在、国のばらつきはあるものの東南アジア諸国にあっては、例えば、タイでは倍加年数は21年、ベトナムでは15年が推計されている程である少子高齢化が、急激な速度で進行中である。

そのことは、表3の「アジアの国・地域の合計特殊出生率の推移」に見ることが出来る。

その結果、農村から都市へ、あるいは職を求めての移住労働の多量化などで、今まで語られてきた変化の流れなどより急激な流れが生じている。

それが、事業団が、当初抱いていた介護が必要な段階の国の経済的発展の基づくモデルがあまり意味をなさない秩序が生まれてきたようだ。

簡単な言葉で言えば「国がまだお金持ちになっていないのに高齢化社会に入ってしまっている」のである。

 

 

東南アジア型介護

 日本の例でみれば、高齢社会の到来は、必然的に介護の社会化を伴う筈であるのに、それが無い状態で介護が必要な高齢者が多出しているどう対処しているのであろう。

 其の一つの例が、先に例示したタイの現状であろう。

本来ならば、核家族化し、その結果介護の社会化を生むはずであるが、先に記したように、結果的には逆で核家族が減り大家族化し、その力で介護需要を賄っているとの現実である。

これは言わば、「アジア型家族構成、または大家族」がなせることのようだ。

欧米型家族結合は、親子、夫婦、親戚などを保証している個人主義に裏打ちされているとすれば、アジア型はもっと広く「家族圏、あるいは「ネットワーク」などがキーワードとなりうるように境界が定められた組織より、関係の広がり、ともいえるように必要に応じて自然に互助しあう関係が家族構成の基礎となっていそうだ。

その結果が、介護に必要も大家族化することで処理されている証となるのであろう。

それは例えば、事業団傘下に居るミャンマーからの実習生たちの状況を見ても理解できる。

  • ミャンマー人口約5千万人
  • 生産人口約65%約300万人弱
  • 移住労働者数 350万人~450万人(タイ300万人~400万人)と言われている。
  • 生産年齢の労働者の役1割から2割が海外に出稼ぎ

その結果、当然、高齢者介護力は不足をきたし、それを家族あるいは大家族にてこなしている。

 また、実習生は、収入の中から平均約5万円を家族に送金していて、それが家族収入の重要な部分であり大家族を維持している

このような状況の延長にて大家族を形成している。

さて、このような現実の中で、事業団の理念であり目的でもある「介護人材の国際的循環」の達成は。単純に、日本の介護現場で実習習得した介護をそのまま母国に持ち帰ったところでなんの役立つこともなく、それよりむしろ持ち帰る事さえ意味をなさないであろう。

我々は、何も東南アジア諸国には、日本ですでに失われた家族や隣人、コミュニティが今でもあり、それをもって介護に必要性に答えているとの図式を描いているのではない。

またいずれの国も先進国の例にならって一様にそれに向かっているとも述べていない。

其れよりむしろ、日々発生しあるいは変化しているケアニーズに対し、ケアのあるべき形をその国、その地域にあった形を見つけ出すことが目的でもあり、その中から我々が言う「介護」の共通領域を見つけ出すことが目的である。

 

Ⅳ やがて移住労働者が日本に来なくなるさて、どうする。

 現在、徐々に出稼ぎ希望者が日本を避ける様になって来ていると聞く。

その理由は

1 賃金格差の減少

 日本の賃金が韓国に抜かれた

 OECD(経済協力開発機構データによると)

  平均年収(2021年)

   日本の433万円OECD加盟国35か国中22位。韓国19位。

  平均年収の伸び率

   日本 直近20年で1%未満

   韓国  40%越え

  日韓の最低賃金韓国の最低賃金(2022年)

   日本 東京1,072円 熊本851円(首都圏、大阪圏などを除く各地方地域はおおむね韓国を下回る)

   韓国 9,160ウォン(約962円)。伸び率2017年から41.6%も上昇。

       2023年の最低賃金を前年比5.0%増の9,620ウォン(約1,010円)にすることが決定されている

以上の様に日本は韓国に賃金にて抜かれつつある。

この賃金を在留中の技能実習生が抱えている条件に当てはめてみる。

  厚労省賃金構造基本統計調査(2020年)によると

   手取り額 16万1700円

   費用   食費3~5万円 寮費2~3万円 他費用1~2万円

         平均8万円

   他に来日するための費用として80万円~100万円。在住期間5年とすると約1万4千円/月

   親元に送金するなり、貯金するなりの額は約7万円

   合計9,4000円

母国にて就労した場合の賃金はベトナム3万円、ミャンマー1.2万円

単純計算上は、仮に母国給料が日本で稼ぐ給料の58%になった場合は明らかに出稼ぎに来る意味がなくなる

(事業団傘下の実習生の現実はかかる費用などはより節約に努めていると思うが)

さて、アジア各国の賃金は日本の賃金の何パーセントに当たるか

 

仮に現地給料を日本の50%になった場合を見てみよう。

インドネシア2030年、タイ2030年、ベトナム2030年である。

ちなみに2021年12月時点で実習生は27万6千人のうちベトナム58%を占めているがあと10年弱で0に近づくことになる予測が立つ。

尚ミャンマーはデータの不安定性の為予測はあまり意味を持たないが、少なくとも正常不安定が続き海外出稼ぎが国民の主要な収入となる事には変わりはないであろう。

これは先に示した「国際移動転換理論」による予測とも合致している。

 

2 円安の影響

2022年12月9日 1ドル 135円

     10月20日    150円

     1月        115円

インドネシア ルピア。ベトナムのドンも円安

2022年初頭に対し約2割前後円安そのため、実質賃金が母国換算で2割の減額

 

以上の要素などにより、昨今出かせぎ対象国から日本を敬遠する傾向が強まっている。

 

3 送り出し受け入れにかかる費用

日本は韓国に比べ高い。

2004年に韓国が制度化した政府が直接管理する雇用許可制によって中間搾取を防止。

結果的に外国人労働者のかかる費用が日本より少なくて済み、現況にあってはベトナム、ミャンマーからは韓国に出稼ぎに行く人が増えている。

 

4 労働環境、条件などの悪化と風評被害

アメリカ政府並びに国連などが、たびたび「現代の奴隷制度」と指摘。

昨年岡山の建築会社で起きた暴行事件の様な刑事事件発生、他の失踪事件などが英国のBBC放送が放映、Z世代の情報伝達手段であるSNSにより全世界に瞬時に伝わり評価を落とす。

このようなことが重なって日本行きより韓国、台湾、アラブ諸国などに流れつつある。

結果的に、送り出し国との賃金格差が年を追うごとに短縮されるのと同時に、日本の国力の低下が相まってあと十年を待たずして出稼ぎ先として日本は外される可能性が濃厚となってきた。

 

 

Ⅴ 介護人材の雇用の持続可能方法は

 以上の見てきたように、絶対的に不足する介護人材充足対策としての外国人介護人材採用計画もこのままでは先細りになりそうである。

しかし、一方、日本の介護は今後必要とする国、あるいは現在も必要としている国にとっては十分必要としている技能であり、それを伝える手段としては本来の理念に基づいた技能実習制度は有用である。

問題なのは、その理念をただ人材集めの方便に使っている現実である。

事業団は、当初、現在でも介護を必要としている国、今後必要とするであろう国、との2原論で、介護の伝習を捉えてきた。

 それは、介護を産業の発展と共に必要となる技術としてとらえ、先進国の必須社会条件としてとらえ後進国から先進国へとの直線としてとらえた考え方に基づいてきた。

しかし、実習生を現実に迎え、現場に着任させる作業をする中で、どうもそれでは理解できない現実に多々直面してきた。

 我々の送り出し国ミャンマーでは、確かに発展段階において介護を必要とする社会の段階ではない、しかし、若者の就労場所が無いに等しい国、生産年齢の若者は外国に職を求めている、ほぼ1割から3割の若者が国を離れて出稼ぎに、結果的に高齢者介護は拡大家族、あるいは地域の諸関係者により実施。

 これを、欧米の個人主義的解釈で語る物差しを持ち得ていないようだ。

このことは、隣国タイにあっても同様だ、アジア型介護方法とでもいえる現実だ。

技能実習制度にあっては、いち早く少子高齢化を迎え、そこから生まれた日本の介護を必要とする国に伝習するとしている。

例えば、今ミャンマーなりタイに、日本の介護を持ち込んだところで全く意味がなさそうだ。

今ミャンマーなりタイなどの送りだし国にあっては、現実に介護があり、そのサービスで暮らしている高齢者が存在している。

また、その介護は、決して単なる家庭介護、あるいは家事としての介護でもない。

このようにして、その土地土地、その時代に合った介護がそれぞれに発展深化している。

 其の現場に、日本の介護をそのまま持ち込んでも有用性を発揮するとは思えない、それはあたかも、かつて盛んに指摘された日本のODAが途上国の事情を無視して、良かれと持ち込んだ様々なプロジェクトが結果的に野ざらしになっている風景に似ている。

 

さて、事業団は、陥りがちな後進国から先進国への一方通行な考え方を排除していこう。

 

具体的には、国なり地域なり事業所なりのオファーを受けて其れに答える方法を何とか確立していこう。

その目は、現在でも確かに至るところにある。

 例えば、長崎県ではベトナムの看護学校と協定を結び学生を長崎の日本語学校、あるいは介護専門学校に留学させ、その後、長崎の介護事業所に就労斡旋する県事業を展開している。それは確かに、送りだし国から受け入れ事業所への一方通行の図式であるが、近々帰国後の就労が課題問題として現出することが見えている。

その解決方法は、送り出し国に必要な技能の明確化、言葉を変えれば国に必要な技能の注文をベトナム側が明確し、日本側がそれに答える仕組みをつくることが答えとなる筈である。

このような例は、全国至る所にあり、現在実習生を受け入れている事業団も見方にとよれば同様である。

其れこそ、世界に通用する介護の誕生なのであろう。

また、それ無しに徐々に敬遠されるであろう日本行の介護人材を引き留める策は現在のところ考えづらい。

もう一つの事業団の理念「互助の関係」つくりの実践である。

 

送り出し国が受け入れ事業所にオファーを出し、それに応える関係を確立する必要がある。

また日本の介護は、その注文にこたえる努力をする必要がある。

 

 

そのためには、現在受けいれている人材などを基に、またそれに関係する機関などを基に、持続可能な関係作作りにそろそろ着手する必要が出てきたようだ。